
公孫[王贊]は若い頃には盧植の元で学んでいたが、劉備も共に盧植の元で学んでおり実は学友ということで面識があるのだが
反董卓連合時に劉備と出会う時にはまったくそんな当時の事は思いも出せず
やっと思い出したと思ったら当事の事よりも 黄巾の乱終了時に見かけた事しか思い出さぬ

学友の名前も出ないようでは 肝心の勉学の中身もスッ飛んでいるとしか思えんな
「三国志5巻」より
その董卓軍との戦いでよりにもよって戦場で呂布に目を付けられてしまい剣も抜かぬ間に這々の体で情けない声を上げて逃げ出す始末
一体こいつは戦場に何をしに来たのか・・・


さすがは白馬義従 あっという間に1コマで見事に逃げ出した 速ぇぇー!
「三国志5巻」より
結局、逃げてる最中に劉備の義弟である張飛や関羽が間に入って一命を取り留めることとなる
誠に残念ではあるが、公孫[王贊]の悲運は始まったばかりある。
その後、反董卓連合も空中解散するが 盟主である袁紹が韓馥の冀州を騙し取るたに公孫[王贊]を利用する
どうやら袁紹から「一緒に韓馥の冀州を攻めて お互い半分づつ領地を奪おうぜ」とそそのかされたらしいのだが
世の中そんな美味しい話が簡単にあるわけがないのに簡単に食いついてしまった公孫[王贊]・・・
案の定、袁紹は「公孫[王贊]が冀州を攻めてくるから助けてあげるので 軍を領地に入れさせてもらう」と言い
そのまま韓馥を追い出し冀州を奪い取る、まったくタイヘンな策士である。
そんな事は露知らずの公孫[王贊]は
事情を聞くため弟(本当は従弟)の公孫越を使者として送るが哀れ公孫越は袁紹の闇討ちに・・・。
怒り狂った公孫[王贊]は袁紹を攻める為に軍を押し進める。


公孫[王贊]の一番威勢が良かったピーク時・・・
まったくロールケーキの切れっぱしをくっ付けた様な兜なんて被りやがって
「三国志6巻」より
元気よく突撃をしたところまでが彼の全盛期であった・・・
威勢よく飛び出した直後には 弓兵の待ち伏せにあい出鼻をくじかれ
袁紹軍最強の文醜に出くわし一騎打ちを行うが 一方的に押し切られ なんとか凌ぎ切るのが精一杯
挙句の果てには 呂布戦の時のように ここでも颯爽と白馬で逃げて行く
呂布の時にも「公孫[王贊]にげるか」と言われているが ここでも同じセリフを吐かれる始末。
しかも、前回同様ここでも情けない悲鳴が・・・もう見てられぬ


いや、なかなかどうして 豪傑相手にこうも逃げ切れるものではないが
いとも容易く逃げ切るとは公孫[王贊]は只者ではあるまい
にしても、逃げっぷりといい 「ひー」という悲鳴といい前回と全く同じじゃぁないか
「三国志5、6巻」より
執拗に追い詰める文醜の矢が馬に当り とうとう馬からも転落し不利な状態で馬上の文醜の攻撃をなんとか凌ぐのだが
さすがは公孫[王贊]、この大事な場面で石につまずきコケしてまうという大失態
三国志史上 石に毛躓いたのが原因で討ち取られた間抜けは見たことがないが 危うくそのパイオニアになるところであった。
さて、もやは彼の命運もここまでか! と思われたその時に趙雲が現れ文醜を撃退し
奇跡的にも一命を取り留めることとなる。
まったく、公孫[王贊]は先の関羽・張飛に助けられた件といい 後年の五虎将軍の世話になり過ぎである
これで、黄忠や馬超にもで助けられようものなら 主の劉備そっちのけで五虎将軍一丸となり公孫[王贊]を守る集団になることだった。

左足で躓いたはずなのに 次のコマでは右足で躓いているという荒業を 命がかかった場面で華麗に披露する
これぞ、公孫[王贊]クオリティ
「三国志6巻」より

明らかに 親分(趙雲)と子分(公孫[王贊])にしか見えん
というか、公孫[王贊]が小さすぎる
「三国志6巻」より
趙雲に一命を救われ翌日得意の「白馬義従」で心機一転 袁紹に挑むが
なんか前回と同じフラグなのか 攻め入り方が一緒だ・・・

前回(左)と今回(右)
とてもじゃぁないが、陣や戦略が練られていると垣間見える部分は・・・ない
「三国志6巻」より
そんなことはバレバレの様で ロープを張られ機動力を殺され ここでも弓矢の的になり挟撃され
何もすることもなく またまた退却
一体何の為の白馬陣だったのか・・・・
「ひけーっ」の掛け声もさすがに さまになってきた。
退却時に趙雲が追ってくる袁紹軍を追っ払い、さらには劉備らも援軍として駆け付け
ここでも危機を寸前で乗り切るのだが、なんとも自軍だけで解決している場面が一向に見られない
いつもいつも後年の劉備軍の主力級の助けがないと公孫[王贊]の首と胴はとうの昔に永遠の別れ告げているであろう。
後日、董卓より帝からの勅命という形で袁紹と休戦となるが、公孫[王贊]ではさすがに
今の就職口に不安なのか 趙雲が劉備軍に危うく転職するところだったが
なんとか劉備の口添えで残留となり 趙雲という大きな力を手に入れたと思われたが
使いこなせなかったのか、趙雲が仕方なしの残留でイヤイヤ仕事していたのかわからないが
後年、劉備が曹操の下に身を寄せている時に満寵の口から 公孫[王贊]は袁紹に滅ぼされたと告げられるのだが
滅亡のきっかけとなるのは撤退時に城外に残された500の兵を救わなかったことにある

さすが負け慣れている人物は兵の減少には敏感に反応する
にしても、少し太ったな
「三国志15巻」より
これを契機に味方の兵が公孫[王贊]を見限り、中には味方を助けない彼へ報復もあり
数千の兵が彼の元を去り士気も上がらぬまま 城を内部より開けられ自害して果てるのであるが
この時趙雲は一体何をしていたのであろうか。
思えば、物語上負け戦ばかりで 1度たりとも自前の軍だけで勝ったという場面は見られなかった・・・。