美周郎 周瑜


周瑜 公瑾 「三国志 24巻」より

前回の趙雲以上に触れてはいけなさそうな人物の一人、周瑜について今回も勇気を振り絞ってツッコミ入れさせてもらいます。

数ある三国志の登場人物の中でも周瑜は「美周郎」と呼ばれるほどの整った顔立ちであり また智略に富んだ名将という名にふさわしい人物である。
だがそれも横光以外の三国志での話しだ。
一般的には「周瑜=病弱」というイメージがあるだろうが 別に周瑜は先天性の病に犯されているわけでも 生まれつき体が病弱でもなんでもない。
世に出回っているゲームでは武力が70前後もあり 強いて言えば「丈夫」な部類に入ろう。
なんの事は無い 都督にもかかわらず自ら戦地に立ち向かい 浴びた矢傷が元で体の調子がすこぶる悪くなっただけである。


公孫越の馬とは違い たかが2本の矢で一発命中している駄馬
「三国志27巻」より


この周瑜、どうも才能はあるのだが仕事に対する真面目さが全く感じられない。
孫策、孫権のいない所では かなりのやりたい放題、サボり放題なのだ。
その一例として、呉の命運を賭けた赤壁の戦いで会戦間近だというのに「気分が悪い」だの「頭が重い、吐き気がする」だのと言っては寝込んだまま起き上がろうとはしない。
諸葛亮に「何か不安でも?」と尋ねられ「不安などなにもない」と発して下記のやり取りがある。

世の中ではそれを「サボリ」と言う
「三国志26巻」より


どうやら いたるところでで寝るのが好きなのか、どこでもかしこでも寝ようとする変わった癖の持ち主である。
大概、何かに優れた人物は変わった癖や性格をしているというが なかなか寝るのが好きな武将はお目にかかれない。
しかもこの周瑜、寝るといっても なかなかベッドで寝ようとはせず、さらには突発的に寝ようとするのである。
これには周りの武将もたまったものではない、一体一軍の将というのをなんと心得ているのか?
あるときは船上で急に寝ようとしだすシーンも報告されている。

部下も こんなところで寝られては「あっ」とも言いたくなるだろう
「三国志30巻」より


さらに、急にうつ伏せになる都督・・・やはり何かの病気なのか?

冠を脱ぐ間も惜しんで寝ようとする周都督
「三国志27巻」より


こんなものはまだまだ序の口である。
時には馬上からでも果敢に寝ようと強攻策にでることもある。
それが例え戦場だとしてもだ、もうこうなると戦場へ戦をしにきているのか、昼寝に来ているのかわからぬ・・・

睡眠を求める為 大地という名の寝室へ豪快にダイブッ!
「三国志27巻」より


見よ!このシーンだけでも流れるような動きで寝ようとしていることがよくわかるであろう。
もうこれは昨日今日で成せれる業ではない!
周りで兵たちが生死を賭けて、また呉国の為に戦っているというのに その都督とあろうものが それを尻目に昼寝敢行とは一体どういうことかっ!?

時にはスライディングをするように
「三国志30巻」より


そして挙句の果てに 暴挙はここまでエスカレートした

自分のネーム入りの布団まで・・
「三国志26巻」より


もうここまでくると逆に立派としか言いようが無い
いくら屋外で寝るのが寒いといっても 神聖なる軍旗を布団代わりにするとは何事かっ!?
一体この男は何を考えているのか、もう軍規も規律もあったものではない。
これで赤壁で勝利できたのが奇跡的だとしか思えぬ。
ナポレオンは1日に3時間しか睡眠を取らなかったというが 周瑜は1日に3時間しか起きていないのではないか?
若くして亡くなった義兄弟の孫策もこの本性を知ったら もっと早く亡くなっていたかも知れぬ

この様に呉の大都督・周瑜はいつでも どこでも構わず睡眠を求める男なのだ。
これでは当然 諸葛亮に勝つことも出来ず 無念のうちに没してしまっても仕方が無かろう。

だが、彼はまがりなりにも呉の大都督である、奥義はこれだけではなかった。
彼のもう1つの特技は その見事までの吐血振りである。
判りやすく説明するとドラゴンボールの「ナッパ」や「リクーム」の様に口から怪光線を出しているのと同じようなモノなのだ。
これも三国志の人物多しと言えども彼だけに与えられた業と言っても過言ではなかろう。
ではそのシーンをダイジェストで御覧いただきたい。


主砲 発射!
「三国志27巻」より



弾幕薄いぞ!何やってんのっ!?
「三国志30巻」より



前方の敵に火力を集中させろっ!
「三国志30巻」より



残念・・・これは不発だった
「三国志30巻」より



いっけぇ〜!ハイメガキャノンッ!
「三国志30巻」より


御覧のような凄まじき奥義なのだ・・・
だがこの奥義は諸刃の剣であり、酷使すれはするほど己の寿命を縮めてしまう極めて危険な業でもある。
天津飯の「気功砲」のようなものである。
業を駆使しすぎた周瑜は 惜しまれながらも36歳の若さでこの世を去ることとなるのだ

さて、オイラはこの智略に長けている周瑜が以前掲載した「朶思王」と一部同じレベルだということを発見した。
それは赤壁の戦いで諸葛亮が東南の風を呼び寄せた時の周瑜の発言である。


朶思王の台詞はこちら
「三国志26巻」より


ほぼ、同じ台詞を口走ってしまった周瑜都督・・・
まさか後年に自称「南蛮一の知恵者」が自分と同じようなことを言うとはこのとき ユメユメ思わなかったであろう。
この場合、周瑜が朶思王と同じレベルだったのか、実は朶思王は宣言通り「知恵者」だったのか・・・それは謎である

あぁ・・・これを書いて俺の身の安泰は無事であろうか・・・それが一番の気がかりである。